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企画・制作:読売新聞社ビジネス局
2024年2月7日 Sponsored
by西南学院大学
芥川賞に4度ノミネートされている乗代(のりしろ)雄介さんを講師に迎えた「読書教養講座」(西南学院大学、活字文化推進会議主催、読売新聞社主管)が11月30日、福岡市の西南学院大学で開かれた。読売新聞社に事務局を置く活字文化推進会議が展開する「21世紀活字文化プロジェクト」の一環。乗代さんは「小説の可能性」と題し、渡邊英理・大阪大学大学院教授と対談。田村元彦・法学部准教授が司会を務めた。
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はじめから視聴
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第二部から視聴
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田村》 乗代さんは多読の方で、書くこと読むことそれぞれの意識が作品に生かされている印象です。読書遍歴を教えていただけますか?
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乗代》 大学時代は図書館に入り浸って、全集を片端から読みました。カフカの「アメリカ」はタイトルを聞くと開けているイメージで、読みやすく面白いのですが、ずっと屋内にこもっています。書くことの意識を作品に投影していたという印象。サリンジャーや宮沢賢治も他人なんて気にしない。そういう作家にシンパシーを感じました。
私自身、フィクション的なものを書き始めたのは小学4,5年ころ。法政大学では(のち大学総長の)田中優子先生のゼミに入りましたが、ほとんど出ずにレポートだけ出しました。卒論は「平賀源内の小説を書く」と言ったら、数日後に関係する絶版の本や雑誌がたくさん送られてきました。デビュー作は先生に贈りました。
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渡邊》 乗代作品にはおじさんやおばさんが大活躍する作品が多いですね。今年前期の芥川賞候補作「それは誠」は、いなくなったおじさんを探すストーリー。同級生との友愛が描かれた学校小説でもあり、修学旅行のルートから外れる、(学校に行かず山で遊ぶ)山(やま)学校小説でもあります。実際にどういう意識で書いたのですか?
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乗代》 私の小説の舞台は人がいなくなる境界的な場所で展開することが多いです。なぜそうなっているかと言うと、私は(小説を書くために)たくさん歩くからです。
風景が駄目という人はいない。みんなが良いと思う風景は少ないですが、個人がそれぞれ良いと思う風景はあります。良い風景に出会った時は、ひらめいた状態になるわけです。基本、小説を書く頭にはなっているので、小説の舞台がそこでひらめいた瞬間に決定する。「それは誠」で言うと、お墓が三つくらいある高架道路そばの斜面で男子高校生が何人かしゃべっている風景がはっきり見える、信じられる。そういうひらめきがまずあって、小説の一場面と思って書きます。そこから小説が形をとって広がっていく。ただその「書く」が出来た後に、どう広げていくのかが難しく、話を作るという作為が生まれてきます。
その作為を最近、全部消したいなと思っていて、全ての場所で「書く」が見つかるまで歩き回る「ローラー作戦」をしています(笑)。(「それは誠」の舞台の)日野市には1か月以上滞在して朝から夜まで歩きました。
例えば公園で保育園の子供たちが遊んでいるのは実際に見た光景で、夕焼けがすごく綺麗な所とか信じられる場面でつなげていくやり方を「それは誠」で一番しました。心象を集め回って書くという、宮沢賢治が言う「心象スケッチ」の作業です。
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渡邊》 現代ではどこに行っても同じような風景、同じような郊外、似たような風物、全国チェーンの店が広がっているわけですが、実はそうではないことを乗代さんの小説が教えてくれます。言葉によって場所を活性化させ、生き生きとしたものにしていく。名所を作り出しているとも思います。
名所とは元々は歌に詠まれたり物語で語られたりする場所であり、文学作品に取り上げられることで知られるようになった名前の所「などころ」なのです。乗代さんは言葉によって現代の名所をたくさん作り出している希有な作家だと思います。
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乗代》 場所を決めたら無茶苦茶そこを歩くのですけれど、「書く」がなかなか集まらない場合もかなり多いです。ニュータウンも人間の営みとしてみると良い景色であり、よそ者として歩き回るというルールを自分に課していて、小説でもよそ者として登場させます。
最後は小説として「書く」のですが、「見る」「歩く」「香る」「聞く」「休む」とかすべての行為を入れるように書きたい。そうすると最終的に「書く」イコール「生きる」になるのではないかと思います。
カフカも「書くことは生きること」みたいなことを言っていますが、そういう感覚になれると信じています。それらの行為を記憶させてくれる場所が自分にとって必要なのです。それが名所になれば非常にうれしい。「現地に行きました」というのは一番嬉しい感想です。
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田村》 乗代さんのご実家は千葉県の松戸で、東京との際(きわ)ですね。
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乗代》 1年間、松戸から多摩キャンパスに通ったのですけれど、ずっと座れて、本が読める路線も選んで往復6時間本を読んでいました。私自身、何かに所属はしているのだけれども、関係性も薄い中で、1人で好き勝手やれる場所を求めているのかもしれません。
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渡邊》 「仮」とか「際」のような所が乗代文学の重要な核になると思います。「書くことイコール生きること」と言われますが、書いているという行為や書いた人の時間がある、書くために歩いた時間があることを強く意識させ、すごく触発されます。
おじさん、おばさんという親ではない親戚をどう考えていますか?核家族の時代に、普通の家族関係をきしませることで、家族というものを考えさせている感触を持っています。
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乗代》 私自身は父も母もいる家庭で育ちましたが、私の小説では父親が消えるのです。今思いますと、岩宿遺跡の発見で日本に旧石器時代があったことを証明した相沢忠洋の影響があります。
相沢は幼少時に一家離散。小学生でお寺に入れられて、次は履物屋で丁稚奉公。戦争になって海軍に志願し、駆逐艦の工兵さんと仲良くなって、家に遊びに行ったら、そこの奥さんが自分の母親だったのです。また会いに行ったら冷たくされてしまうのです。
そのように青少年時代を孤独に過ごす。行商の仕事をしつつ、考古学に打ち込みますが、何故、発掘を頑張ったのかと言うと、家族の団欒(だんらん)がどこまで遡れるかを知りたいと思ったからだそうです。
自分から失われたものが遡ったらどこまであったのかを見つける。それを支えにして生きて、自分のやれることをやるという生き方があると知った時に、こういう人を書こう、家族について書こう。他のことは人に任せようと思いました。
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田村》 塾講師を勤められた事も作品と関係がありますか?
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乗代》 就活がしたくないから、大学を卒業して小さな塾で働きました。小学生が基本なのですが、中学に進学した子がそのままずっと居ついて、大学受験まで手伝う塾でした。10年間先生をして、教育とは何なのだろうと考えました。どうしたらうまく導けるかではなく、こういう道もあるのだよと、他の人が示さないようなものを示せたら良いと思いながら子どもたちと付き合っていました。
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第二部に移り、最新作「それは誠」を読んだ感想を学生4人が発表。「友人とはどういう存在か。他人に寄り添うとはどういうことなのか。改めて自分に問い直すきっかけになった」「日常と非日常の境界線が絶妙に変化していく」「自分と向き合う主人公たちに勇気をもらい、私もこうありたいと思った」「周りの人と人間関係を築いてゆく過程が面白く感じられた」。これらの感想に対して乗代さんは「古めかしい本ばかりを読んでいた主人公が、こんなことで変わっていくのか、と感じてもらえたらうれしい」と答えました。
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引き続いて、学生それぞれが読んだ作品を紹介し、感想を述べ、質問もした。
「最高の任務」について、「自分が何者かを問い続けるのが大きなテーマ。私自身は就活のため自己分析をしていますが、自分を二重人格や三重人格にも感じてしまう」と自分を問うことの難しさを打ち明けたことに対し、乗代さんは「『これだけは自分がやっている』というものがあれば、相沢忠洋のように何も気にしなくなるのではないでしょうか」とアドバイス。
「皆のあらばしり」を読んだ学生は「こんな不思議な信頼関係があるのかと驚きました」と感想を述べた。2人の少女を描いた「パパイヤ・ママイヤ」を取り上げた学生は、対人関係での距離の取り方を質問。乗代さんは、「ギブアンドテイクで崩れたり止まったりする関係をたくさん見てきました。見返りがなくても相手のためにやり続けることが、距離を縮めるし、信頼につながると思います」と応じた。
コロナ禍の中、サッカー少女と叔父の旅を描いた「旅する練習」について、「時間の描かれ方が面白い」との感想を受け、渡邊さんは「小説は時間を伸ばしたり縮めたりすることができる。例えば100年という長い時間を『100年たった』と一言で片付けることもできるし、逆に数分のできごとを延々と書くこともできる。大事な所で読みの速度を落とすことが重要で、(作家が)歩いた、書いた、生きた時間を私たち読者にも体験させてくれます」と小説の可能性について言及した。