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企画・制作:読売新聞社ビジネス局
2023年8月21日 Sponsored
by西南学院大学
台湾で生まれ、東京で育った作家の温又柔(おん・ゆうじゅう)さんを講師に迎えた「読書教養講座」(西南学院大学、活字文化推進会議主催、読売新聞社主管)が6月30日、福岡市の西南学院大学で開かれた。読売新聞社に事務局を置く活字文化推進会議が展開する「21世紀活字文化プロジェクト」の一環として、同大学では2005年度より実施。温さんは「はざまで紡ぐ物語」と題し、コーディネーターの柿木(かきぎ)伸之・国際文化学部教授と対談した。
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はじめから視聴
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第二部から視聴
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柿木》 エッセー集『台湾生まれ 日本語育ち』をはじめとする温又柔さんの作品では、国と国、言葉と言葉、あるいはさまざまな性の「はざま」で生きる人の痛みや苦しみが細やかに表現されています。近作の小説ではそのような人が、多数派であろうとする人が何気なく発した言葉に傷ついたり、あるいはそれでもなお人との出会いのなかで生きる場所を見いだしたりする姿が描かれています。この作品からお話をうかがいたいと思いますが、最新の長編小説『祝宴』では福岡での結婚披露宴が舞台になっていますね。
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温》 「祝宴」は結婚式から始まって、お葬式で終わります。人生の宴(うたげ)を書きたくて書き始めました。あちこち旅をしていて、もしも自分が博多で育っていたらどうなっていただろうと強く感じ、小説に書きたいと思いました。福岡はアジアに近く、台湾にルーツがある人たちにとっては縁がある土地。扉絵は博多港のイメージを表現されたそうで、福岡でこの本の話ができることを嬉しく思います。
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柿木》 『祝宴』は基本的に、福岡で式を挙げた娘とその姉の父・明虎(ミンフー)の視点から展開するわけですが、彼は上の娘のある告白に動揺しながら、自分の人生の歩みを振り返ります。最後は葬式で終わるのですが、またそこから新たな物語が始まるような感じがします。明虎が出会った一人ひとりの人物像がアジアの近代史のなかから浮かび上がり、それとともに彼の心が解きほぐされていきますが、こうして人の心が開かれていく過程に触れて、読んでいるほうも心が温かくなります。こうした意味で感銘深い小説でした。
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温》 私が自分を表現するときには、日本と台湾の「真ん中」ではなく、日本人も台湾人でも「ある」というポジティブな感覚と「どちらでもない」というネガティブな感覚のはざまにいるという表現がしっくりくるのです。日本にいると限りなく日本人に近い台湾人気分で生きていますが、台湾の戻ると日本人にそっくりな台湾人と思われている。そもそも日本人らしい日本人って?台湾人に近い台湾人って何?という疑問を毎回、問い直させられて来ました。被害者的な言い方ですが、私はマイナスとは思っていなくて、「問い」にあふれた人生を生きてきたとよく思います。
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柿木》 温さんは、絶えず問いを受け取るような出会いのなかでご自身を振り返ってこられたのですね。その際、台湾や日本を含むアジアの歴史、とくにその言語の歴史を問うことは避けられなかったようですね。こうして「はざま」に生きることを歴史的にも省みるなかから、普段「はざま」を意識していない読者への問いかけを作品に綴っておられると思うのです。
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温》 「台湾生まれ、日本語育ち」は、失ってしまっている母国語をもう一度取り戻すリポートの感じでエッセーを書こうとしました。でも書いていくうちに、私は何も失ってない、元々私の言葉は私の中にあるし、私の言葉が私を包み込んでいたと気づきました。それを気づかせてくれたのが、日本統治時代の台湾の作家であったり、複数の言語の間で生きている人たちだったりしたのです。母国語は形があるようなものではなく、元々自分の中で雑多に羽ばたいているものとか、渦巻いているものであり、そのまま愛してしまえば、私は別にこのままでも自分を肯定できると気づいたのです。
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柿木》 李良枝(イ・ヤンジ)さん(1955~92年)は、朝鮮半島出身の両親の下に生まれた在日二世の作家で、「はざま」に生きる苦悩を突き詰める「由煕(ユヒ)」で芥川賞を受賞しています。温さんが編集した「李良枝セレクション」(2022年)について、編集のきっかけやそのご苦労などについてお聞かせいただけますでしょうか。
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温》 私も両親のように中国語を話せるようになりたいと思い、大学で第二外国語として学びましたが、どんなに頑張ってもネイティブの方から「日本語なまりの中国語」と言われてしまう。話すことさえ怖くなり、居場所がない気持ちになっていました。その時期に偶然、「由煕(ユヒ)」など李さんの作品を読みました。韓国語を完璧にできなくてはいけないと思う主人公たちの苦悩があまりにも自分の悩みや揺らぎに酷似していて、自分の居場所が李さんの本の中にあると思って、すごくはまってしまいました。
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柿木》 李良枝の小説を読むことが、温さんの文学の原動力になったのですね。
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温》 日本語を使って20数年間生きてきた由煕は、韓国で韓国語を勉強します。朝起きたときに「あー」という声を出すときに自分の「あー」という声が日本語の「あいうえお」なのかハングルの「アヤオヨオ・・・」なのか分からなくなる。「あー」は何語であろうと「あー」なのですよ。でも由煕は、「どちらか選ばないと生きてはいけない」と思い詰めてしまい、結局、日本に逃げ帰ってしまう。読むとすごく悲惨です。その小説を受け止めた私はその「あー」という音を引き継ぎたいと思いました。「あー」は何語でも良い。日本語で書いてしまえばいいのです。李さんがこの世にいないなら、台湾にルーツがある私が大胆にも(笑)、由煕の辿り着けなかった境地にと突き進んで行きました。
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柿木》 最新の『私のものではない国で』(2023年)に収められたエッセーや対談は非常に読み応えがあります。
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温》 詩の一文や小説のフレーズなど文字の背景にある文字になってないものも感じさせる余白というか豊かさがあるから人は本を読んだり、詩を読んだりするのです。文学は「不要不急」とか、「役に立たない」という意見もありますが、人間が必要としている命綱は本の中に息づいていると思います。
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引き続いて第2部のトークセッションに移り、学生から温さんに質問があった。
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「真ん中の子供たち」を3か国語で書いた理由について温さんは、「日本語で日本の小説を書くなら、日本語や日本文化以外の要素はなるべくなくした方が、小説らしい小説になると思い込んでいたのです。でもその思い込みは、もしかしたら私が普通の日本人にならなければいけないと思わせてきた圧力と結構似ていると思い直しました。小説の懐(ふところ)を信じて、覚悟をして書きました」。「魯肉飯(ロバプン)のさえずり」のタイトルについては、「一言語として受け入れられない言語の存在も感じさせたいという願いを『さえずる』という言葉に込めました。ルーローハン(魯肉飯)を台湾ではロバプンとかロバペンと呼びます。どちらでも良いのですが、そういういい加減さをタイトルに捧げたかったし、記憶に残る優しい音をカタカナに込めたかったのです。」
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短編集「永遠年軽」(2022年)の登場人物の考え方については、「私が空気を読んで、"大人"になろうと思う人間だったら小説を書いていなかったかもしれない。圧力に対抗する幼さが仮に存在するとすれば、私はいつまでも大人になりたくない。」また、「言葉に対する思いは?」という質問には、「言葉は万能ではないと思っています。語り尽くしてもなお語り得ぬものは絶対にあると思っていますので、言葉を尽くして自分の感情を正確に表す努力を続けたいと思っています」と答えた。
柿木教授は「たしかに言葉は万能ではありませんが、語りうることと語りえないことの「はざま」からこそ、言葉の可能性は拡がっていきます。引っかかっても紡(つむ)ぎ続けると今、温さんは言われました。これからどんな作品が出てくるかを皆さんとともに楽しみにしたいと思います」と締めくくった。