人権シンポジウムin名古屋ハンセン病に関するシンポジウム人権シンポジウムin名古屋ハンセン病に関するシンポジウム

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ハンセン病に関する患者・元患者・その家族がおかれていた境遇を踏まえた人権啓発活動

ハンセン病対策については、かつて国が採った施設入所政策の下で、患者・元患者のみならず、家族の方々に対しても、極めて厳しい差別・偏見が存在しました。
これら、いわれのない差別や偏見を根絶するには何が必要かを考えるため、2月1日に愛知県名古屋市でシンポジウムが開催されました。

基本講演

思いよとどけ思いよとどけ

ハンセン病家族訴訟原告団副団長黄光男氏ハンセン病家族訴訟原告団副団長黄光男氏

無らい県運動※1で家族がバラバラに

私が生まれて間もなくして、母親と姉がハンセン病にかかり、私が1歳のとき、二人は岡山県にある長島愛生園に入所しました。母親は当初、「小さい子どもがいるから」という理由で入所を拒んだそうですが、自治体の職員が何度も入所勧奨のために大阪府の自宅を訪ねてきたそうです。また当時、通っていた銭湯で入浴拒否をされるなど、地域住民からの差別被害にも遭い、療養所に入所せざるを得なくなったと聞いています。その後、父親ともう一人の姉は大阪府に戻り、私は岡山県にある育児院に預けられました。家族五人がバラバラにされてしまったのです。

おかしいことは「おかしい」と叫ぶ勇気を

無らい県運動では、自治体の職員だけでなく、近所の一般市民が一体となって、ハンセン病患者を社会から追い出しました。内心では差別に反対している人もいたかもしれませんが、社会全体がそうした発言や行動を許さなかったのでしょう。国民が雰囲気にのまれてしまったことで、ハンセン病患者や元患者、そしてその家族が苦しんだという事実を忘れないでください。昨年、家族訴訟に対する内閣総理大臣談話も発表されましたが、まだまだ問題は残されています。自分の中にある差別意識と向き合い、おかしいことは「おかしい」と叫ぶ勇気を持ち、差別に怒りを感じて立ち向かう行動ができる人間になれるといいと思います。

※1)ハンセン病患者を見つけ出し、療養所に送り込むために、各県で行われた運動。

基調報告・パネルディスカッション基調報告・パネルディスカッション

  • 差別に立ち向かう人への理解を差別に立ち向かう人への理解を

    【パネリスト】弁護士・ハンセン病家族訴訟弁護団共同代表徳田靖之氏【パネリスト】弁護士・ハンセン病家族訴訟弁護団共同代表徳田靖之氏

    ハンセン病患者や元患者、その家族が長年にわたって差別や偏見にさらされるようになった原因は「国の強制隔離政策」です。これにより、「ハンセン病は恐ろしい伝染病だ」「感染しやすい体質は遺伝する」という誤った認識が広まり、社会の隅々にまで差別意識が植え付けられました。その結果、無らい県運動では、官民が一体となってハンセン病患者を地域や職場、学校などから追い出すようになったのです。また、家族もひどい差別を受け、やり場のない怒りを患者本人に向けてしまうことも少なくありませんでした。
    2003年に熊本県で起こったホテル宿泊拒否事件※2で、社会の中にはいまだに差別意識が残っていることが明らかになりました。事件についてテレビや新聞で報道されると、菊池恵楓園には多くの誹謗中傷文書が寄せられました。差別を受けた人が「同情されるべき人間」として慎ましく生きると理解や同情をされるが、差別と戦おうとして立ち上がると攻撃される…。この社会の厚い壁を破ることこそが、いまの私たちに求められていることでしょう。

    ※2)熊本県のホテルが国立療養所菊池恵楓園のハンセン病元患者18名と付き添い4名の宿泊を拒否した事件。

  • 被害者への共感・敬意が大切被害者への共感・敬意が大切

    【パネリスト】毎日新聞社大阪本社制作技術局長斉藤貞三郎氏【パネリスト】毎日新聞社大阪本社制作技術局長斉藤貞三郎氏

    いまから26年ほど前に長島愛生園を訪れて入園者の話を聞き、ハンセン病について初めて知りました。ある入所者の方は、病気になったことで隔離されて一生を終える境遇を「病み捨て」と表現しました。私たちは「病み捨て」を社会から見えない形にして、残った多くの人が自由と幸せを享受する社会に生きているということを思い知りました。また、らい予防法が廃止される前、医学的・科学的根拠に基づかない新聞報道が多数ありました。差別や偏見の助長については、新聞社の責任も大いにあります。
    現在、新聞の見出しでは「救済」という文字がしきりに使われていますが、元患者や家族は救われる立場で、私たちは救う側なのでしょうか。私は、元患者の方のたくましさ、優しさ、人間としてのプライド、諦めない姿、そして、耐える姿にも人間を学ばせてもらいました。「救済」という考えから脱して、共感・敬意を持つことが大切だと思います。

  • 加害者は誰か?加害者は誰か?

    【パネリスト】フリーアナウンサー・記者藪本雅子氏【パネリスト】フリーアナウンサー・記者藪本雅子氏

    1996年の「らい予防法の廃止」を知り、ハンセン病の問題に強い関心を持ちました。しかしテレビでは、2001年にらい予防法違憲訴訟(熊本地裁)で原告が全面勝訴との判決が出たときでさえ、たった35秒間の報道でした。その後、03年のホテル宿泊拒否事件を知り、「まだ差別は残っている」と大きなショックを受けました。
    私が話を聞いたある女性元患者は16歳で療養所に入所し、すぐに結婚させられ、意に沿わぬ妊娠をしました。療養所で子供を持つことは禁じられており、人工早産の手術が行われました。無理やり引っ張り出され、目の前で命を絶たれたその赤ちゃんは後日、ホルマリン漬けの標本とされていたそうです。彼女は子供を作った自分が悪いと泣き崩れましたが、悪いのは彼女ではない、彼女は被害者であって加害者ではない、本当の加害者は誰なのかをはっきりさせて伝えていかなければならないと強く感じました。ハンセン病の元患者もその家族も、被害者であるのに自分が悪いと思い込んでしまっているところがあります。国の誤った政策が起こした被害であることを明らかにする啓発活動を積極的に行っていかなければならないと強く思います。

  • 苦しみを想像し、差別を繰り返さない苦しみを想像し、差別を繰り返さない

    【コーディネーター】公益財団法人人権教育啓発推進センター理事長坂元茂樹氏【コーディネーター】公益財団法人人権教育啓発推進センター理事長坂元茂樹氏

    2008年から13年にかけて国連人権理事会の諮問委員を務めました。活動の一つとして、「ハンセン病患者・回復者及びその家族に対する差別を撤廃するための原則及びガイドライン」を策定しました。この作成過程で分かったのは「世界中でハンセン病患者や元患者、その家族が差別や偏見にさらされている」ということです。国によっては「ハンセン病元患者は運転免許証を取得できない」「ハンセン病にかかると法定離婚原因になる」という、差別を助長するような法律もあります。
    そして、日本でもおよそ90年にわたり、強制隔離をはじめとする数々の差別的な政策が実施され、入所者の多くが、家族が差別されることを避けるために仮名を使ってきた歴史があります。我々はこのような歴史から、差別されてきた人たちの苦痛を想像し、共有し、二度と差別を繰り返さないということをこのシンポジウムで確認したいと思います。

朗読・トークショー朗読・トークショー

差別をなくすためには学び続けることが重要差別をなくすためには学び続けることが重要

中江有里さん写真

藤原凜華さん写真

シンポジウムでは朗読とトークショーも行われ、藪本雅子さん、全国中学生人権作文コンテスト中央大会で法務大臣賞を受賞した宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校3年生の藤原凜華さん、俳優で文筆家の中江有里さんが登壇しました。藤原さんが法務大臣賞受賞作文『星塚のじぃやん』を、中江さんが家族訴訟原告団のメッセージ二編をそれぞれ朗読。
トークショーで藤原さんは「ハンセン病については教科書でも学んだが、当事者の話を聞く方が当時の様子がリアルに分かる。若い世代が多くの人に伝えられるように活動していきたい」、中江さんは「人間は誰しも差別意識を持っているものかもしれない。それに向き合って『差別はいけない』と認識するためには学び続ける必要がある」と語りました。

朗読・トークショー写真