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患者さんへの思いを原動力に人間力を磨き、応用力を備えた医師になってほしい

技術革新により、がんと遺伝子の関係が解明されつつあります。山形大学医学部参与の嘉山孝正さんは、脳神経外科学の立場からがん研究に取り組み、がんゲノム医療という先端医療の牽引役を務めています。一方、全国医学部長病院長会議でも、複数の委員会の委員長を務めるなど、日本の医学教育の向上に向け多忙な日々を送られています。ご自身の医学部時代・研究員時代を振り返りながら、これから医学部を目指す中高生にエールを送っていただきました。

プロフィール

山形大学医学部参与 / 全国医学部長病院長会議・大学医学部入学試験制度検討小委員長
嘉山 孝正氏(かやま たかまさ)

1950年、神奈川県生まれ。専門は脳神経外科学。1975年東北大学医学部卒業。東北大学医学部付属病院に勤務、その間に1年間、ドイツ・ギーセン大学医学部脳神経外科に留学。その後国立仙台病院脳神経外科、東北大学助手、講師(医学部附属病院)を経て1994年に山形大学医学部助教授となる。医学部教授、医学部付属病院長、医学部長等を歴任後、国立がん研究センターの初代理事長に就任(現在は名誉総長)。全国医学部長病院長会議では大学医学部入学試験制度検討小委員会委員長、専門医に関するWG座長、被災地医療支援委員会委員長を兼任。他にも日本学術会議連携会員、国立大学医学部長会議相談役、日本脳神経外科学会理事長を経て現在は顧問なども務めている。研究面では、山形バイオバンク・山形県コホート研究等を進め、東北地方初の重粒子線がん治療施設設置の牽引役に。一人ひとりに合わせたオーダーメード医療を実現すべく、さらなる取り組みを進めている。

〈全国医学部長病院長会議〉

大学医学部の医学教育、医学研究、付属病院での種々の重要な課題を協議・意見の統一をはかり、我が国の医学・医療の改善向上をめざす法人組織。
刺激し合う仲間たちに囲まれ、新しい知識の習得に貪欲だった学生時代
──まず始めに、先生はどのようなきっかけで医学部を目指すようになったのでしょう。また、東北大学を志望したされた理由を教えてください。

嘉山医師を意識し始めたのは中学2年の頃です。自分の研究をやりながら、人のためになりたいと考えたのですが、高校時代に利用していた通信教育の登録ネームが『がん解明でノーベル賞』でしたから、当時から漠然と、何か未知のものを解明したいという思いがあったのでしょうね。
 ではどこの医学部に進むか。人に指図されず、自分の好きな研究に思う存分取り組むには、研究環境の整っている医学部で研究ができる立場になるしかないと考えました。ところが私の受験した1969年は、学生運動全盛期で東大の入試が中止。当時は東に目が向いていましたから、必然的に東北大学に進むことになったのです。事前知識としては、高校時代に北杜夫の『どくとるマンボウ』シリーズを読んでいたことくらいでしょうか。

──医学部時代の生活について教えてください。どんな医学部時代を送られましたか。

嘉山一人の知人もいない仙台でしたが、すぐになじみ今では東北が自分のホームグラウンドになりました。東大の入試中止の影響もあり、同級生は九州や四国など全国から学生が集まっていた。価値観や考え方の異なる仲間と過ごすのは楽しかったですね。他の学年に比べて競争意識も強く、例えば他の代で大学教授になっているのは10人に1人くらいですが、私の学年はほぼ5人に1人。「教授が偉い」というわけではありませんが、貪欲に上を目指す人が多かったことはわかってもらえると思います。今でも顔を合わせると、同時の思い出話で盛り上がりますよ。
 私自身のことで言えば、自分の好きなだけ勉強できるのが楽しくて仕方がありませんでした。やればやるほど次に知りたいことが出てくる。刺激的な環境での6年間は、今思い出しても充実していたと思いますね。

医局時代、午前中は外来、夕方から自分の研究に取り組む
──ご専門である脳神経外科に進もうと思われたのはいつ頃ですか。

嘉山鈴木二郎先生との出会いがきっかけです。先生は、もやもや病の命名者のみならず脳血管障害(脳卒中)の外科治療の先駆者として国際的にも注目されていた方で、美男子でかっこよかった。先生へのあこがれが専門選択の決め手になりました。また、まだCTがない時代で、症状から病気を推察せざるを得なかったのですが、脳神経外科はまだまだ解明されていないことが多く、やりがいがあると感じたことも大きかったですね。大学5年の頃には先生の医局に入ると決め、医学部卒業後は午前中臨床、夕方から自分の研究という毎日がスタートしました。

──研究員時代のエピソードをご紹介ください。

嘉山先生からはまず「生化学」の知識を身につけること、そして「脳梗塞がどういう風に回復するかを解明し、薬を開発しろ」というテーマを与えられました。1年下の研究員と一緒に研究を始めたのですが、当時はまだ動物モデルがなく、犬を実験に使うことにしました。野犬狩りで捕まえた雑種の犬を使うことに。連れてきた犬の世話も24時間体制で行わなければなりませんでした。延べで140頭の犬を研究に使いました。日常は1週間分の着替えを持って研究室に泊まり込む、というのが卒後2年間の生活でしたね。試行錯誤を経て世界最初のモデルを完成させる過程で、手術の腕も上がりました。

──その後、がん研究に取り組まれるわけですね。

嘉山脳梗塞の研究を通して、酸素やブドウ糖の量が病気の進行・回復に影響することがわかってきました。その研究手法を悪性の脳腫瘍・神経膠腫(しんけいこうしゅ)に応用、世界で初めて悪性腫瘍内に低酸素細胞が存在することを証明したのです。その意味では医学部時代から積み上げてきたものが、がん研究に結びついたと言えますね。
 現在では、がんの基本的な概念や発症のメカニズムが随分解明されてきました。遺伝子の並び方に変化が起こるとがんができてしまうことがわかり、患者一人ひとり遺伝子情報=ゲノムを読み解く「がんゲノム医療」が注目されています。我々の山形大学医学部も2018年4月に厚生労働省から「がんゲノム医療連携病院」の指定を受け、最先端のがん研究に取り組んでいます。

──今後の展望を教えてください。

嘉山今や日本人の2人に1人ががんにかかる時代であり、ゲノム医療に取り組まなければ今後、先端医療はできません。私は10年以上にわたり、「山形県コホート研究」で健常な人のデータを収集。加えて2012年に山形大学に復職後から、医学部教授会全員で「山形バイオバンク」(附属病院の新規患者のデータ)の創設準備を進め、2018年6月から運用を開始しています。健常者と病気を発症している人のデータを比べることで、どんな遺伝子が、どういった環境で病気になるかの解明が進むと大いに期待しています。
 さらにゲノム解析により、患者一人ひとりに最適な治療薬、投薬量や回数、副作用などが予見できれば、よりその人に合った治療法を選択できる。オーダーメード医療が実現するよう、今後も研究に取り組んでいきます。

──現在は臨床、研究分野のどちらに進もうか迷っている学生も多いようですが、先生はどうお考えでしょう。また、先生がずっと大事にされてきたことはどんなことですか。

嘉山私は「基礎および臨床研究をやらないと、よい医者にはなれない」と考えています。実験では必ずしも期待通りの結果が出るとは限りません。その場合、なぜこの結果になったのかを検証し、どうすれば次のステップに進めるかを考える。過程を十分に経験してこそ、数値(データ)の持つ意味を理解することができるのです。結果を当てはめるだけでは、医学の進歩についていけない、応用がきかない医師になってしまうでしょう。
 私の時代のような生活を送れというつもりはありません。ただ当時を振り返って思うのは、先が見えない中でその日その日を全力でやってきたことが、今の私を作ったということです。その根本にあったのが「患者さんに治ってほしい」という思い。学生時代からずっと変わらずこの思いを抱き続けているからこそ、私は今も医師として走り続けていられるのだと思っています。

──全国医学部長病院長会議等、さまざまな団体でもご活躍です。今の医学部に対するお考えをお聞かせください。

嘉山医学部入試が大きな社会問題となり、医学部に向けられる目の厳しさを痛感しています。今は情報が簡単に手に入る時代。情報公開は不可欠ですし、その情報には透明性や公平性、社会的な規範が備わっていなければなりません。日本の医学部全体で、ガバナンスを中心に新しい指針を作り、国民に納得してもらう必要があるでしょう。今後そうした役割も担っていかなければと考えています。

医師は終わりがなく、一生取り組み続けられる素晴らしい仕事。
誇りと覚悟を持って挑んでほしい
──これから医学部を目指す中高生が、学生時代にしておくべきことはありますか。

嘉山医師は人と向き合う仕事ですから、いい医者になるには、文化系の素養も不可欠です。医学部を目指す方には、中学・高校時代にぜひたくさん本を読んでほしいですね。どんな本も論理的に書かれていますから、読むことで知らない知識を得ることと同時に、論理的な思考法を身につけることができます。推理小説、冒険小説、恋愛小説…ジャンルはなんでもかまいません。ただ意識してもらいたいのは、内容を鵜呑みにするのではなく、批判的な視点を持って読むことです。自分で経験的に学べることは限られていますが、本を読むことでさまざまな考え方に触れ、想像力を膨らませることができる。それが他者と向き合う際、心の理解に役立つはずです。

──医学部を目指す中高生や保護者に対して、アドバイスをお願いします。

嘉山手術もその後の患者さんのケアも、医師一人ではできません。実際の現場では、他の専門医や看護師、栄養士、リハビリテーションスタッフなどさまざまな医療スタッフがチームとして協力し、患者さんの治療にあたっています。恩師の鈴木先生は、手術後いつも看護師等スタッフに向かって「ありがとう」と手を合わせておられ、私自身もそれが習慣になりました。共に患者さんに向き合うメンバー全員を心からリスペクトすること。それがなければチームはうまく機能しません。コミュニケーション力や協調性と同時に、リスペクトする心を持ってほしいですね。
 日々目ざましく進歩し続けている医学ですが、新しい病気や疾患も生まれています。自然科学であり、応用科学でもある医学・医療に終わりはありませんから、一生取り組み続けられる面白い学問だと思います。誇りと覚悟を持って、これから医学の道に邁進(まいしん)してください。

──本日は貴重なお話をありがとうございました。