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「衣」という視点から新しい歴史が見えてくる

オランダ・江戸の古着事情

田中 衣服というと、どうしてもデザインや流行といった観点で研究されがちですが、私は「モノ」としての価値に関心を抱いています。そして、「糸・布・衣の循環史研究会」の活動などを拝見すると、まさにそこを経済史の視点で考えていらっしゃって、とても共感しました。

杉浦 実は田中先生のご著書である『布のちから』は大変参考にさせていただいています。
もともとは、小麦や野菜などあらゆるものの「商品化」に才を発揮したオランダという国に興味を持って、都市の流通史などを研究していたのですが、その中でまさに循環する商品である古着に行き着き、江戸との比較なども行っています。

田中 江戸時代の着物は、古着の一番安いものですら、私の換算によれば5千円から1万円ほど。とても何着も持てるものではありませんでした。

杉浦 オランダでは、古着で一式そろえると、若い職人の給料1.2カ月分、新品だと数カ月分だったようです。ただ最近の研究では、一つの服を着まわさず、高い割には衣服を複数持っていたらしい。あまり価値が下がらず、古着としてまた売ることもできたことが、助けになったのでしょう。

田中 日本では、質屋が処分の身近な窓口になっていましたよね。また、参勤交代で江戸に出てきたと思われる下級武士が、古着店の店先にいる絵などが存在するところを見ると、着物を荷物にせず、旅先で古着を買って、帰りに再び売ったりしていたかもしれませんね。

杉浦 その点、オランダには古着買いは江戸に比べるとかなり少なかったんです。そこで調べてみると、ひとつには仕立て屋が、修繕したものを古着として売るなど広い役割を果たしていたらしい。それから、当時のオランダは均分相続、つまり、親が死ぬと家財をすべて換金して子供が平等に分けていたのですが、その競売で直接買う、あるいは査定人が引き取って別ルートでさばくといったことがあったようです。

田中 着物には、「記憶の価値」をつなぐ機能もあって、だから気軽に売買するものとは別に、たとえば親から子へと大切に受け継がれていくものもあると思うのですがいかがでしょう。

杉浦 そうですね。アムステルダムやケープタウンでも、競売の記録を見ると、衣服だけは売られていない場合もあります。その意味が先生の本で理解できました。

田中 江戸では、傷んだ着物が袋物などになり、最後はボロ布を燃やした灰も買われて洗剤や肥料になったのですが、そういう循環はありましたか。

杉浦 ウールが紙の原料にはなったのですが、江戸ほど徹底してはいなかったかとおもいます。

「対話のできる」世界史の創造へ

田中 日本の着物や布は、オランダ東インド会社を通して、当時ずいぶんヨーロッパに渡っていましたよね。

杉浦 17世紀から、江戸や京都に小袖などを定期的に注文することが始まっていて、「ヤパンセ・ロッケン(日本式ガウン)」という一大ブームを作っていました。生地を取り寄せて向こうで仕立てることもありましたし、模倣品も作られ、男子大学生の間で流行していました。

田中 一方、東インド会社が日本に運んでくるものは、中国の絹をはじめ大半がアジアのもので、その中にヨーロッパのものがまじっているという感じです。つまりこの会社はアジアの中でものを動かすという働きもしていました。ですから、当時のオランダを研究すると、自然に世界全体が見えてきますよね。そこで、先生が参加していらっしゃる「Global History Collaborative(GHC)」に大変興味があります。

杉浦 東京大学の羽田正先生が10年来進めてこられた「新しい世界史」の動きの一環で、プリンストン大学など海外の3つの研究機関と協働して、その方法論を追究する研究拠点を構築しようというものです。「新しい世界史」とは一つの中心を決めてトップダウンで歴史を記述するのではなく、つながりを見据えて地球人としての歴史を描く試みで、私にとっては「勝者の」歴史を取捨選択することから「対話のできる」歴史を構築することへの転換です。そこで私の選んだテーマが「衣(ころも)」でした。

田中 なるほど、「衣」なら、和服・洋服・民族性など関係なく、すべてを含んでつなげられますね。私自身も、「布」というものをテーマにしたとき、たとえば絹を取り上げれば中国とつながるし、木綿なら朝鮮・インド、あるいは東インド会社の交易、さらに伝統的な布が象徴的役割を果たしたガンジーの民族自決運動など、とにかくいろいろなところに入っていける「素材」だなと感じたんです。先生のご研究の成果が楽しみです。

学問のワクがあると江戸は見えない

田中 「糸・布・衣の循環史研究会」のほうも海外研究者とのネットワークの中で研究されていますが、こちらは経済史がご専門の方々ですか。

杉浦 経済史であることも否定せず、文化史であることも否定せず、しいていえば物質文化史かもしれませんが、とにかくワクはつくらないことにしようと考えています。

田中 これもまたすごい。実は江戸文化を研究しようとすると、ジャンルが分かれていてはできないことが多すぎるのです。たとえば、文学と美術の両方がわかっていないと、とても「黄表紙」などは読めません。ですから「江戸時代」という軸だけつくって、学問のワクは設けずに研究するしかないのですが、そこから新しいものが見えてきます。

杉浦 本来、人文科学、社会科学はみなそうあるべきですよね。いま、世界史が共有している「軸」として取り組んでいるのが、衣服の「廉価化」なんです。安いものが出回って社会がそちらに動こうとしているという歴史は共通しているけれど、それを「欧米の技術革新による大量生産」というだけではない説明のしかたができるのではないか、そう考えています。

田中 そして、それならみんな安いものを着て、安いものを食べればいいじゃないか、とはいえない点も世界共通。それに抵抗を感じる人間とは何かというのも、また興味深い問題ですよね。

杉浦 面白いし、そこに人類の希望があるんじゃないかとも思います。

田中 ところで、本学のゼミで、学生に商品開発をしてくださっていますね。

杉浦 経営学部の西川英彦先生や流通科学大学の石川淳蔵先生などの諸先生方が2005年から立ち上げられた「Sカレ(Student Innovation College)]に参加しています。商品化の歴史を何かを創り出すという経験からも体感してほしいと思っています。

田中 法政は、まさにそうした、実践を通して獲得・蓄積される知を重視していこうとしているところです。是非お力を貸してください。ありがとうございました。


法政大学経済学部教授 杉浦 未樹(すぎうら みき)
1971年、ブラジリア生まれ。
専門は、近世オランダを中心とした流通史。近世都市の商業と流通構造を、物流インフラ、職種分化、家族の財産運用、などから検討する。近年の関心は、モノの長い循環を組み入れた流通消費史の構築であり、古着の役割を手掛かりに、糸・布・衣の循環をつなぎ合わせることを目標としている。(糸・布・衣の循環史研究会:http://www.lccg.tokyo,GHC: http://coretocore.ioc.u-tokyo.ac.jp)東京大学経済学研究科PhD取得。アムステルダム大学客員研究員を務めたあと、東京国際大学を経て、現職。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)
1952年、神奈川県に生まれる。法政大学文学部卒。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。

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