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日本の「ものづくりありき」のグローバル化を目指す

「教えない」教育の大切さ

田中 先ほどこちらの「Ai-City(アイシティ)」をいろいろ見学させていただきました。

信元 本社をはじめ弊社のさまざまな施設を機能的に集積したこの場所を、「Akebono Innovation」の頭文字をとってそう名づけたのですが、実は、ここ羽生の伝統産業にちなみ、「藍染めの街」という意味も含んでいます。ご感想はいかがでしたか。

田中 大学経営者の立場でも、教育の責任者の立場でも、たいへん勉強になりました。例えば私は、以前から大学で「教えない」授業ができないかと考えてきたんです。IT機器のおかげで、檀上で話す以外にも、学生に容易に多くの情報を与えることができますが、その結果、教え過ぎてしまい、逆効果になっているのではないかという反省がありまして。
そうしたら、御社の「モノづくりセンター」の研修では、それを実際にやっていらっしゃる。こんなふうに仕組みを創ればできるのか、と希望が出てきました。

信元 教えるのでなく、本人に「考えさせる」ということですね。
私どももまだまだ仕組みづくりの途上ですが、ただそれは、「APS(Akebono Production System)」の基本でもあるのです。
目の前のものをそのまま受け入れてしまうのではなく、なぜこれが必要か、なぜこんな機能を持てるのか、あらゆる角度から「なぜ」と問うて確認する。それから、ここは変えられないのか、変えたらどうなるのか、と考えて先へ進む。そういう姿勢を大事にしているのです。

田中 いろんな道場があって、ものづくりの継承のようなこともやっていらっしゃいますね。

信元 弊社の草創期には、職人が、アメリカから学んだ技術に自分たちの技能を混ぜ合わせて、独自のものづくりを行っていました。しかし、それをどのように継承していくか充分に考えられていなかったので、ドキュメントも残っていませんでした。それをもう一度、道場のような場でゼロから掘り起こして、試行錯誤しながら身体で覚えてもらい、技能を磨いていく。その技能を組み合わせながら、次のステップとして人間が行ったほうがいい作業と、機械に任せたほうがいい作業をきちんと分けられるようになることが大切で、そのベースとして道場をやってもらっています。

田中 すべてを機械化すればいいというわけではないんですね。

信元 機械の数だけエネルギーもメンテも必要になりますからね。できるだけ省エネの形で、過去から学んだ人間の知恵を活かしたら、どういうものづくりが見えてくるか、それを検証したいのです。

海外のニーズが日本にフィードバック

田中 アメリカの技術を日本でアレンジして、というお話をうかがうと、まさにわが国のものづくりの姿だなと思いますね。
江戸時代、銀が枯渇して輸入をしなくなるんですが、完全に止めると刺激がなくなって、知恵がなくなる。だから他のものを「情報」として少しだけ入れていた。
たとえばインドの木綿製品。職人が最初はマネをして作りますが、次第に変化して、日本人のための日本の製品になっていく。ここで大事なのは、同じものは作らないということです。いまこの場で必要なものは何かを常に考えていた。その過程で、職人の技術が非常に磨かれたんですね。
御社は積極的に海外展開をされていますが、ものづくりについて、日本と海外の違いを感じられることはありますか。

信元 たしかに海外ではものづくりの地位が低くて、80年代に初めてアメリカに工場をつくったときなど、そのギャップに驚きました。頭のいい連中がシステムを考えて、それに沿って現場に「作らせる」感覚なのです。

田中 そういうところに日本のきめ細かいものづくりを持っていったときに、それが失われていく心配はありませんか。

信元 いや、私どものグローバル化の方向性は、むしろ日本型のものづくりを世界に広げることになりますし、海外で得た知見を日本のものづくりに活かすことにもつながります。たとえば、自動車メーカーの要請もあって中国にも生産拠点をつくりましたが、その目的の一つはその地域のニーズを調べた上で、その地域の部材を使ったら、どのようなコストでどういう製品が造れるのかというチャレンジでもあるわけで、そこで得たノウハウを日本にもフィードバックできます。舗装もされていない、車体の建て付けも悪いところで、日本で重視されるノイズや振動が重要ではない使われ方もあるわけです。だから、そこを省いて、その代わりコストを下げることもできます。

田中 なるほど、その土地でクルマに求められるものを考えなければいけない。

信元 日本へのフィードバックと言いますのは、ご存じのとおり、わが国では若い世代を中心にクルマ離れが進んでいますが、地方では相変わらず必需品です。つまり、移動手段としての機能に徹して、それ以外の機能は二の次というニーズもありうるわけです。中国で得たノウハウが日本でも活用できるわけです。

田中 一方、力を入れていらっしゃるヨーロッパ市場には、別のニーズがあるわけですね。

信元 あちらは高性能乗用車の需要も大きいですから、従来培ってきた技術が活きてきます。ただ、東洋のメーカーというだけではじかれる土地柄なので、参入には苦労しています。2007年からF1レースに参戦して知名度は上がってきましたが、まあ、現状シェアはほんのわずかですから、伸びしろは無限大ということになりますけどね。

社員、そして学生のモティベーションを高めるブランディング

田中 もちろんブレーキは、自動車だけのものではありませんよね。

信元 一言でいえば、ブレーキとは摩擦を通じて運動エネルギーを熱エネルギーに変換するシステムです。摩擦というと、一般には、いかにそれを減らすかが課題となるのですが、私たちは摩擦をコントロールしつつ活用するわけです。

田中 摩擦材の素材の研究なども大変ですが、固めて成形してしまうと成分はわからず、企業秘密は保たれるのだとか。

信元 ブレーキの鋳物部分については、キロいくらと重さで値付けされてしまうけれど、摩擦材はそうはいきません。もちろん現在は成分の公表が義務づけられていますが、配合がポイントです。

田中 センサーなども手がけられているということで、今後どんな方向に発展されるのか楽しみです。
ところで、ブランド戦略にも力を入れていらっしゃいますね。

信元 過当競争の中で、いくら頑張っても利益が薄いという状態が続き、社員のモティベーションが下がっていきました。しかし、私たちが造っている製品は人の生命に直結するもの、安全と安心に直接かかわるものであることをしっかり伝えたうえで、もっとプライドを持って仕事をしてほしいというメッセージを送りました。大学の先生にも手伝っていただきましたが、基本的には社内の手作りでブランディングを考えました。

田中 では、最初は社内向けの取り組みだったわけですね。実は法政大学も、まさにその作業をしているところです。特に総合大学は、高度成長期に大きくなりすぎて、どんな大学かというイメージが浮かばなくなってしまった。それを構築し直そうと。そしてそれはやはりまず学生にとって大事なのです。学生が誇りをもって学べるようにするためのブランディングなのです。その中で、ブランドは飾りではない、とあらためて思いました。

信元 そうですね、実質が伴わなければいけません。

田中 社会への約束でもあるわけですからね。本日はありがとうございました。


曙ブレーキ工業代表取締役社長 信元久隆
1949年兵庫県生まれ。一橋大学卒業後の1973年、渡仏しベンディックス・フランス社に入社。約5年間フランスで実務経験を積み、帰国後の1977年に曙ブレーキ工業へ入社。取締役国際業務部長、常務取締役、専務取締役、代表取締役副社長を歴任した後、1990年に曙ブレーキ工業代表取締役社長に就任。1994年から会長兼任。フランスと縁が深く、2000年1月にはフランス国家功労勲章オフィシエを受章し、在日フランス商工会議所第二副会頭など務めている。2008年、藍綬褒章を受章。また、同年から2012年まで日本自動車部品工業会会長を務めた。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)
法政大学総長。1952年、神奈川県に生まれる。法政大学文学部卒。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。

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