中国古代史研究を通し、中国の今を知る:特集: 学習院TIMES 学習院大学:読売新聞オンライン

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※掲載の肩書は取材当時のものです。

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これからも、始皇帝と地下宮殿の謎に挑んでいきたい

――過去には日本でも「兵馬俑展」などが開催され、鶴間先生もそれらに監修として数多く携わってこられましたが、どのあたりが印象に残っておられますか。

鶴間 2000年に、東京と横浜で同時開催された四大文明展の「中国文明展」は、特によく覚えています。三星堆(さんせいたい)[※4]遺跡の青銅器、兵馬俑など、中国各地から集められた国宝級の文物が展示されました。なかでも陝西省博物館から、世界最大級の唐代の壁画をお借りできたのは印象深いですね。運送業者との交渉や展示の仕方など、注意深く綿密に打ち合わせをして実現しました。そのような現地の文物を実際に扱うことができるのは、手伝ってくれる学生たちや、私にとって貴重な経験です。今後予定されている「秦漢文明展」でも、皆さんの関心をひけるような出土品を展示したいと考えています。

――映画や漫画も、一般の方が中国史に触れるうえでは、いいきっかけになると思います。鶴間先生は、始皇帝を主人公とした人気漫画『キングダム』の実写映画(2019年)の中国史監修を務めておられますね。

鶴間 私も『キングダム』は興味深く読んでいました。あの漫画の世界が映画化されることになり、2200年前の文化を映像に盛り込むのですから、スタッフの方々は本当に大変だったと思います。

 ただ美術監督の斎藤岩男さんに「できるだけ忠実にしたい」といわれ、私も徹底的にアドバイスした結果、細部までこだわったつくりになりました。たとえば、民家の建物の土壁は版築という技法で造るために中国まで行って造ってきましたし、室内では障子のように見えるものも、当時は紙がない時代なので絹を張っています。城の玉座の部分にも白地の絹に龍の刺繍を入れています。画面にはチラッと映る程度ですし、ほとんどの人は気づかないこだわりですが。それに画面には映らなくても、演じる俳優がその空間で2200年前の人になりきって演じるには必要なことです、とおっしゃっていました。いま制作中の映画にも携わっていますが、こういった仕事を通じても中国への関心がまた沸々と湧いてきます。

――昨今の報道を見て、日中関係は必ずしも順調でないと考える方は少なくないでしょう。そうしたなかで、日本人が中国史を学ぶ意義とは何でしょうか? 先生の今後のご活動と合わせて、お教えいただけますでしょうか?

鶴間 そもそも中国や朝鮮半島は、まだ文献のないころから日本と深い関係にありました。ですから中国史を理解することは、日本の歴史を理解することにもつながるのです。隣の国がどういう状況にあるか。今後、日本が他国と戦争を起こさないようにするにはどうすればいいかなどの未来を考えるうえでも、中国史の学びは役立つと思います。

 私の今後の活動ですが、4月からは授業もありませんし、卒業論文も読まなくて良くなりますから、より始皇帝の研究に没入できそうです(笑)。いま書いているものが2つほどあるのですが、ひとつは始皇帝をより一人の「人間」として捉え、その実像に迫っています。もうひとつは「始皇帝の愛読書」に迫ったものです。始皇帝は『韓非子』(かんぴし)を愛読したと伝わりますが、それ以外にもどういう書物を読んだのか。それらは、おそらく始皇帝陵の地下宮殿のなかに彼の遺体とともに眠っています。2200年ものあいだ誰も見たことのない、その構造も明らかにしたいと考えています。私が生きているうちに始皇帝陵の本格的な発掘調査がされることはないでしょうから、これまでの研究をもとに、少しでも実像に迫りたいと考えています。今後、出版されると思いますので楽しみにしていただきたいと思います。

gakushuin_0331_tsuruma_3.jpg 私はマラソンが趣味なのですが、それも健康法として続けていきたいと思います。学生たちには、マラソンに例えて「自分のペースで走る」「人からの声援が助けになる」「高い目標を掲げる」「残量計をつくる」という4条件が大事だと言ってきました。これは人生もマラソンも同じです。それに基づいて、ひとまず10年の残量計をつくり、その残りの人生を楽しむつもりです。これからも私の研究の成果が、みなさんの中国史への関心の高まりや、日本の将来を考えるための一助になればと考えております。


[※4] 三星堆=独特の青銅器の仮面像などで知られる四川省の遺跡

2021.3.30

プロフィール

鶴間 和幸(学習院大学教授)

1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。茨城大学教養部助教授として勤めているときに、1985年よりおよそ1年間、中国社会科学院歴史研究所外国人研究員として中国にて研究・調査。茨城大学教養部教授を経て、1996年より現職。