【日本の現場ウォッチ】
知らなきゃいけない おいしい牛乳、価格の裏側

 全国の酪農家の間からは、悲鳴のような声が上がっている。牛を一頭一頭大切に育て、良質な生乳(牛から搾ったままの乳で、牛乳乳製品の原料)を生産するという仕事に誇りをもって日夜取り組むが、経営が厳しく、将来への不安は高まっているようだ。

 農林水産省の畜産統計によると、2018年の酪農家は1万5700戸と、20年前に比べて4割にまで減った。日本の酪農の現状について、千葉県いすみ市で髙秀牧場を経営する髙橋憲二さんに話を聞いた。

――どのような牧場ですか。

 飼育している牛は約150頭で、全国平均と比べると規模は大きい方です。私と妻、息子に加え、今は4人のスタッフで牛の世話をしています。娘がうちで搾った生乳を利用した工房(ジェラートやチーズなど)とカフェを敷地内で開いています。

 牛の排せつ物をもとに堆肥(たいひ)を作り、牛の餌になるコメやトウモロコシ、牧草などを自前で育てる循環型酪農をしていることが大きな特徴です。

――毎日どのような生活をしていますか。

 作業開始は毎朝5時です。餌やりやフンの掃除をしてから、搾乳を6時前に始めます。その後は、ミルカー(搾乳機)の洗浄、牛のベッドメイキング、牛舎の掃除と続き、9時頃になっていったん休憩し、朝食をとります。

 日中は午後3時頃まで、畑仕事や堆肥作り、機械の修理などに追われます。早朝から出るスタッフはここで終わりですが、昼頃から出てくるスタッフは休みを挟み、夜9時頃まで牛舎で餌やりや搾乳、掃除をします。私は朝は6時頃に牛舎に出ますが、夜は最後まで残ります。夕食は10時以降で、寝るのは0時近くになります。お盆や正月は交代で休みを取りますが、その間も牛の世話はもちろん続きます。

――つらくはないのですか。

 この牧場で働き始めた1988年以来、30年以上こういう生活です。なぜこんな仕事をしているのか不思議に思われるかもしれませんが、牛が好きですから、苦痛ではありません。むしろ、牛と一緒にいるときのほうが自然でいられます。

 ただ、スタッフは月5~6日休めるようにしていますが、私自身はなかなか休みが取れません。あと1人増えれば私も定期的に休めるのですけどね。

――牧場の経営状況は。

 牛を約150頭飼育していますが、そのうち搾乳している牛は約75頭です。生乳の生産量は年850~900トンで、子牛の売り上げなどを加えても、正直、労働に見合った対価として十分ではないと感じています。

――なぜでしょうか。

 うちでは、飼料代が売り上げの約4割を占めます。平均的には5~6割ですから、これでもかなり低い方です。飼料の85%を自前で生産しているので、なんとかこの水準にとどまっています。ただ、その分、人件費が高くなって3割弱を占めます。

 機械代も大きな負担です。自走式のハーベスター(収穫機)を買おうとしたら、新車で7000万円くらいすると言われました。結局は20年使った中古を1200万円で買いました。機械は修理しながら、少しでも長く使っています。このほかに、水道・光熱費や牛の治療代などもかかってきます。

――餌を自前で生産する狙いは。

 飼料は、電話1本で届けてもらえるので、買った方が圧倒的に便利です。しかし、それでは1キロで50~60円します。自分たちで作れば、手間暇はとてもかかりますが、1キロ15円で済みます。

 飼料の本格的な生産に踏み切ったきっかけが、2008年頃に起きた、穀物などから燃料を作るバイオエタノールのブームでした。世界的に穀物価格が上昇し、飼料価格は約2倍になり、日本中の畜産農家が赤字になりました。

 自給飼料生産を提案したところ、周囲から猛反対に遭いました。牛の世話でいっぱいいっぱいで、それでも利益が出ていない状況でしたが、妻からは「これ以上仕事が増えたら、あんた死ぬよ」とまで言われました。それでも、「どっちにしろ、このままではやっていけないのだから、できることをやろう」と飼料作りを始めたのです。

 現在は、借地も含めて100ヘクタール以上の田んぼや畑で二毛作をしながら飼料を作り、9軒の近隣の牧場に供給しています。飼料代が安定したおかげで、なんとか酪農を続けていられるのだと思っています。

――土地を借りてまで自給飼料を生産しているのですね。

 このあたりも耕作放棄地が増えており、放置すれば土地の荒廃が進んでしまいます。酪農家がその土地を借り受けて飼料を生産することで、農地を守り、国土の保全に貢献する役割は大きいと思っています。

――自然災害は相次ぎ、経済環境もめまぐるしく変わっています。

 本当に毎年何かが起きています。収穫まであと1週間というところで、トウモロコシが台風で倒され、収量が平年の5分の1に減ったこともありました。大雪で堆肥舎が全壊したこともあります。

 為替相場も気になります。うちの牧場では自給しているので影響は少ない方ですが、輸入飼料の価格は為替にも大きく左右されます。

――小売店の店頭で売られている牛乳を見てどう感じていますか。

 どう考えても安いです。店頭で売られている成分無調整の牛乳は、生乳を加熱殺菌しただけの自然の恵みです。母牛が子牛のために出すものですから、栄養が豊富ですし、鮮度が求められます。ですから、牛乳は国産100%なんですよ。

 酪農家としては、こんなに休みなく働いて生乳を搾っているのに、水やお茶より牛乳が安く売られているのを見ると、情けなくなるくらいです。

 小売店は牛乳を特売の目玉にしています。牛乳は生鮮品で生活必需品のため、購入頻度が高いからです。日持ちがしないため売り手の立場が弱く、生産者や乳業メーカーに比べて、小売店側の力が強くなってしまっているのが実情です。

 この4月から牛乳等向けの生乳の買い取り価格が1キロあたり4円引き上げられますが、正直この水準ではまだ、新たに人を雇ったり、設備を更新したりすることがなかなかできません。うちは幸いにして、息子が継いでくれることになりましたが、多くの酪農家が後継者不足に悩んでいます。酪農が魅力ある職業にならなければ、生乳を生産する人たちがどんどん減ってしまいます。

――消費者に伝えたいことは。

 1円でも安いモノを求める気持ちは分かります。しかし、安い製品の裏側にどういう仕事があり、経済がどのように回っているのか考えを巡らせ、購買行動につなげていただく必要を感じています。食品は人間が生きる上でなくてはならないものですし、それを地域で、ひいては自国で生産できなくなるリスクは計り知れません。

 モノを購入する際、価格が重要な判断材料の一つであることは否定しません。ただ、これからも国産の安全・安心な牛乳乳製品を安定的に供給するための「適正な価格」について、一緒に考えていただきたいと願います。

髙橋憲二(たかはし・けんじ)
1964年千葉県八千代市生まれ。牧場経営をする実家で幼い頃から酪農家になりたいという夢を抱く。大学進学やカナダの牧場での研修を経て独立し、髙秀牧場の経営を始めた(実家の牧場は兄が経営継承)。日本農業賞や全国優良畜産経営管理技術発表会最優秀賞など多数受賞。

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