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トップ>特別企画>海部元総理を清水モンゴル大使が表敬訪問 「モンゴルと日本のさらなる関係発展に向けて」

特別企画

海部元総理を清水モンゴル大使が表敬訪問
「モンゴルと日本のさらなる関係発展に向けて」

 海部俊樹氏が、民主化間もないモンゴルを日本の総理大臣として初めて訪問してから今年で20年。この訪問をきっかけに日本とモンゴルは交流を深め、政治、経済、学問など幅広い分野で確かな協力関係を築いてきました。その海部元総理を、9月1日付でモンゴル大使に任命された清水武則氏が表敬訪問。中央大学出身の両氏が、今後の両国関係や学生に期待することなどを語り合いました。
2011年9月30日

「海部元総理の訪問が二国間関係の礎になりました」

清水
 今回、私はモンゴル大使に任命されまして、モンゴルに4回目の赴任をいたします。実は海部先生が1991年にモンゴルを訪問されたとき、私は外務省の職員として現地に2回目の赴任をしておりました。自分の赴任中に大学の先輩でもある海部先生に来ていただいたことは、非常にうれしい思い出として今も鮮明に覚えております。また日本とモンゴルの関係は、先生の訪問をきっかけに急速に発展していきましたので、モンゴルを専門とする人間としても本当にありがたく思っております。
海部
 あの訪問の際には、当時の大統領のオチルバト氏から馬を贈っていただき、大変感激しました。ナーダム(国民的なスポーツの祭典)で優勝したという大変立派な馬でしたね。モンゴルでは、馬は相当心のこもった贈り物なのだと聞いています。しかしありがたいことだけれど、連れて帰っても寝かせる場所がないし、馬がかわいそうだからということで、手綱だけいただいて帰りました。
清水
 先生のお名前と駿馬から1文字ずつ取って、「海駿(カイシュン)」と名付けられた馬でしたね。その訪問の後、2008年にワシントンの日本大使館に赴任する前にも先生のところにお邪魔したことがございます。その際は、先生のご長男の奥様が私のカナダ時代の同僚だったこともあってご紹介いただきました。
海部
 そうでしたね。そのときかモンゴルで会ったときかは定かでないですが、清水さんのお顔はよく覚えていますよ。
清水
 ありがとうございます。様々な方のご尽力でモンゴルと日本の関係は順調に発展してきていますが、最近はモンゴルの鉱物資源を巡って、ロシア、アメリカ、ブラジルなどの利権獲得運動が活発化しつつあります。この動きに日本が後れを取らないようにすることが、モンゴル大使としての最大の仕事になるでしょう。引き続き、ぜひご支援を賜りたいと思います。
海部
 わかりました。鉱物資源には中国も興味を持っているようですね。私が訪問したころのモンゴルはロシアと関係が深かったのですが、最近は中国がモンゴルとの関係発展に力を入れているように見えます。

清水
 おっしゃる通りです。経済的に見ると、1990年代にはモンゴルの貿易相手国の約8割がロシアだったのですが、今は約7割が中国で、その経済援助も相当な額に上っています。しかしモンゴルの人々は、1990年以降の民主化の過程、つまり自分たちが一番困っているときに支援してくれたのは日本だということを、よく覚えてくれています。今回の東北大震災でも、モンゴル政府は地震の翌日に臨時閣議を開いて、緊急援助隊や百万ドルの支援金を送るという決定をしました。また、全国家公務員が1日分の給料を震災のために寄付してくれた他多くの民間人の方々の募金活動もあり、今や3億円以上のお金が集まっています。
海部
 モンゴルの人口は約280万でしょう。人数から考えると、それは非常に重みのある額ですね。
清水
 はい。モンゴルの人々の日本への感謝の思いを感じました。そのきっかけは、やはり海部先生の訪問でしょう。つくづく、日本とモンゴルにとって歴史的な意義がある訪問だったと思います。

「モンゴルの人は情に厚く、心が通う付き合いをしてくれます」

海部
 それはとてもうれしい話ですね。私が訪問したときも、日本の首相として初めて、また民主化後では西側の首脳としても初めていうことで、非常によくしていただきました。何年か後に再訪したときも、レストランで食事をしていたら馬の鳴き声が聞こえるんですよ。何だろうと思ったら、私から預かっているということでそこに海駿を連れてきてくれたんです。その心遣いにまた感激して、「心と心が通じる」とはまさにこういうことを言うのだと思いました。モンゴルの人は情に厚いというか、なかなかホットなところがあるんですよ。メンタリティーが日本人と似ているように思います。
清水
 モンゴル人と日本人には言語の文法や蒙古斑など様々な共通項がありますし、民族的なつながりを感じますね。また訪問を重ねて仲良くなると、一緒にお酒を飲んで歌を歌ったりすることもあって、本当にふるさとに帰ったような気分にさせてくれます。
 
海部
 政府の要人でも、仲良くなると親戚のように接してくれますね。1990年当時の首相のビャンバスレンさんとも、仲良くなってからは色々な話をしました。私は今も、彼はジョージ・ブッシュ大統領と並んで「心の通い」を作ってくれる男だと思っています。特に印象に残っているのは、彼の「我が国は中国やソ連に囲まれて注視されているが、支点が隆々としているからそれを支えに胸を張っております」という言葉です。支点とは何ですかと聞いたら「日本のことです」と。日本が頑張っているから、我々も堂々としていられるとおっしゃったのです。
清水
 確かに、モンゴルの人はそういう気持ちを持っているようですね。自分たちの民族の中で、海を渡っていった人々が日本人になって頑張っている。皆が憧れるような経済繁栄を成し遂げて、しかも歴史や文化も保っているのはモンゴル人にとってもうれしいことだと。私も様々な要人からそういう話を聞きました。

海部
 清水さんは、合計何年ぐらいモンゴルを担当されているのですか?
清水
 現地での勤務は約8年半ですが、東京でモンゴルを担当していた期間も合わせると計14年半ほどになります。私は外務省に入って約35年ですので、その3分の1以上がモンゴル関係ということになりますね。外務省でも同じ国に戻る形で赴任する人は意外と少なくて、特に今年は私の他にはほとんどいませんでした。私の場合は4回目の赴任ですから、向こうの大統領や首相、外務大臣も昔からよく知っている方々で、まさにふるさとに帰るような気持ちです。そういう意味では、赴任してすぐ要人と議論を開始できるので、モンゴルの専門家をちゃんとモンゴルに帰していただけて、本当にありがたいと思っています。

「さらなる連携に向け、大使のご活躍を期待しています」

海部
 私たちの母校である中央大学、特に理工学部では、モンゴル国立大学との交流を進めることに熱意を持っていると聞きました。赴任された暁には、大使にもご協力いただければ幸いです。
清水
 それはとても良い話で、私としても大歓迎です。意外と知られていませんが、モンゴル人は数学がとても得意な民族なのです。最近のモンゴルでは日本や中国へ留学する人が増えていて、特に理工系の学生は皆、日本の大学で立派な技術者になって巣立っていきます。最近はそこに着目する日本企業も出始めたので、モンゴルはいずれ理工系の分野で伸びてくるでしょう。しかも南に中国、北にロシアという大きな市場がありますから、日本の技術とモンゴル人の理工系の優秀さが合致すれば、大きな成果を生み出すかもしれない。その期待を込めて、私は大学同士の提携も全面的に応援していきたいと思います。できれば母校とモンゴルの縁を結びたいものですね。
海部
 人材の面はもちろん、最近は鉱物資源の産地としても注目されているようで、最近また新しい鉱物資源が発見されたという報告も聞いています。モンゴルは、様々な面で目が離せない新スポットになりつつありますね。
清水
 はい。かなり大規模な銅鉱山が、カナダの企業の投資の下ですでに稼働を始めています。さらに現在、世界最大規模の埋蔵量と言われるタバン・トルゴイ石炭鉱区で本格的な開発に向けた動きが始まっています。この開発には日本も参画しようとしていて、これは赴任後の私の最大の仕事になると思います。
海部
 モンゴルとしても、日本の技術力には期待を持っていることでしょう。調査や採掘、そのための機器の提供など、日本の企業にできることはたくさんあるはずです。

清水
 おっしゃる通りだと思います。昔、元(げん)の時代に世界中の商人がカラコルムに集まってきたように、今は世界中の資源開発会社、金融関係、証券会社が、あらゆる分野の可能性を探りにモンゴルに集まってきています。モンゴルは遠い僻地の国から、世界中の人が集まる開けた国になりつつある。日本が20年間応援してきた努力が、今まさに結実しつつあると言えるでしょう。
海部
 大学同士の連携や資源開発への参画に当たっては、日本とモンゴルが築いてきた良い関係を生かしていきたいものですね。大使もしっかりと取り組んでください。ご活躍を期待しています。
清水
 はい、ありがとうございます。赴任後はすぐにモンゴル政府の要人と率直に意見交換をして、日本がどのような分野で参画していけるのか、しっかりと見極めて参ります。

「若者にも積極的に外国に目を向けてほしいですね」

清水
 海部先生はもう50年近く政界でご活躍されていますね。中央大学の学生にとって、自分たちの先輩が一国の総理にまでなって頑張っていらっしゃることは、本当に励みになっていると思います。
海部
 そうだとしたら、うれしいことですね。卒業式に際して卒業生にメッセージをと言われることがあるのですが、先輩としてはただ一言、「学生時代は一生懸命勉強しろよ」というのが良いメッセージになるかなと思っています。卒業したらやりたいことをやらせてあげる、もし政治家になりたいのだったら僕の所に来いと。学生時代の自分については、あまり胸を張ったようなことは言えませんが(笑)。
清水
 学生時代と言えば、私は法学部の卒業なのですが、実は司法試験を受けて落ちた経験があります。さてどうしようかと考えたときに、どこか海外へ行ってみたいなと思いまして。外務省の専門職の試験を受けたら、3年生から勉強していた中国語が功を奏したのか、運良く受かったんですね。入省してからは2年間の海外留学へ行って、1年目はイギリスに行って英語でモンゴル語を、2年目はモンゴルでモンゴル語を勉強させてもらいました。あれが私のスタートでした。
海部
 中央大学の卒業生で大使をされている方は多いのですか?

清水
 今のところ、中央大出身の大使は私を含めて3人ですが、一昨年前にはもっとたくさんいました。実は、もともと外務省には中央大出身者が多かったんです。最近はかなり減りましたが、私の同期だけでも専門職で4、5人はいました。1人は今総領事で、この人も将来大使になる可能性があります。ですから、中央大学は決して国際関係に疎い大学ではないのです。今の学生たちにも、積極的に外に目を向けてほしい。最近は若者が留学を敬遠して、日本の中に安住する傾向があると聞きます。それでは外国語も覚えられませんし、国際人として働けませんからビジネスにも良くない影響が出てくると思います。
海部
 中央大学の学生を始めとして、やはり若者にはどんどん外に出てほしいですね。そして、他国との交流をさらに深めていってほしいと思います。
清水
 本当にそう思います。今日はお時間をいただきまして、どうもありがとうございました。
海部 俊樹(かいふ・としき)/第76・77代内閣総理大臣
1931年、愛知県生まれ。51年に中央大学を卒業後、早稲田大学法学部に編入。54年、早稲田大学卒業。60年、衆議院議員に全国最年少で初当選。76年、文部大臣として初入閣。89年、第76代内閣総理大臣に就任。91年、日本の首相として初めて、また天安門事件以来西側首脳として初めて中国・モンゴルを訪問。09年、政界を引退。現在、日本モンゴル友好協会会長、地球環境行動会議顧問、地球環境戦略研究機関顧問など。
清水 武則(しみず・たけのり)/モンゴル大使
1952年、大分県生まれ。75年に中央大学法学部を卒業後、外務省に入省。福利厚生室長、国際文化協力室長などを歴任。在モンゴル日本大使館の参事官として、モンゴルの地方の学校改修などを支援する「草の根・人間の安全保障無償資金協力」活動に尽力し、05年にモンゴルの教育・文化・科学省より教育分野功労者として表彰を受ける。2011年9月1日より現職。