Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>研究>越境する身体―トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築

研究

山口 真美

山口 真美 【略歴

越境する身体―トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築

山口 真美/中央大学文学部教授
専門分野 実験心理学

越境する身体―トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築

 2017年度より5年間、領域代表として科学研究費助成事業・新学術領域研究(研究領域提案型)「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築—多文化をつなぐ顔と身体表現」領域を運営しています。ヒアリング審査までに大量な書類を提出し(ちなみに多くの採択者と同様に、このヒアリングは二度目でした)、人文・社会系で2件だけの採択という、険しく長い道のりでした。

 「顔・身体学」(略称)では、心理学と文化人類学・哲学の3分野を中心に、アメリカ・カナダ・フランス・イタリア・オーストラリア・スイスの複数の研究機関と連携し、6の計画班と23の公募班とで研究を推進しています。毎年2回開催される領域会議では多くの研究者が集い、それぞれの研究者が活発に議論する懇親会は圧巻です。

 本領域の目標は、「トランスカルチャー状況下」にいる多様な個人を「顔と身体」から理解することです。2018年前半に話題になったことに、大坂なおみ選手のめざましい活躍があります。アメリカ生活が長く英語でのコミュニケーションを得意とする彼女ですが、全豪オープンの表彰式で、女王であるはずの彼女の、壇上を歩いていく中で無意識にペコペコ頭を下げる仕草を見て、そこにまぎれもない“同胞”を感じました。身体とはその人の出自を無意識にあらわすものであり、私たちは知らぬうちに漏洩していることを改めて感じた瞬間でした。身体動作はある種泥臭いものではありますが、それこそが私たちの素をあらわすものなのだと思います。

 現代日本は外国人労働者受け入のジレンマを抱える中で、東京オリンピックを目前に控え、多くの外国人観光客を受け入れています。今の日本社会はこれまでになく、トランスカルチャーな状況へと変貌しているといえるでしょう。その一つの象徴的な事例として「入れ墨」の受容があります。本領域では入れ墨の理解をメディアに訴えています。入れ墨が忌避される風潮の中、歴史をさかのぼりこれまで日本で入れ墨がどのように扱われてきたかを問い直すことを提案しています。

 入れ墨に対する拒絶感に象徴されるように、他者の身体の異質性は、直感的な忌避感を喚起させます。等質を前提にする現代の日本では、こうした暗黙的な忌避感に気づくことなく過ごします。しかし、異質なものへの理解のためには、暗黙下に生じる忌避感がどのように生じるのか、そのメカニズムを知ることは重要です。

 本領域では、心理学・哲学・文化人類学の視点からこうした問題に取り組んでいます。現代社会における異質性の存在やその衝突について、社会背景から考察すること。異質を感じる意識下のメカニズム、すなわち異質なものを捉える感度と、社会的判断を結びつけて偏見へと至るプロセスを知ること。特にそれぞれの社会文化が持つ見方はどのように獲得されるか、その学習過程を知ることは重要です。それぞれの分野で得られた知見の連携により、異質なものに潜在的に対処する個のメカニズムと、それをとりまく社会状況を知ることができるのです。

ヴァーチャルリアリティと身体性の未来

トークイベント『ヴァーチャル世界でワタシはどうなる?』の様子

顔へのプロジェクションマッピングの実演(2019年3月2日、 牛込箪笥区民ホールにて。協力:渡辺義浩准教授(東京工業大学)

 こうした問題を広く提案し議論する場を作るイベントも多く行っています。その一つに2018年7月29日に日本科学未来館で行った、トークイベント『ヴァーチャル世界でワタシはどうなる?』があります。携帯電話やスマホの普及を経て、ヴァーチャルリアリティ・チャットが現実味を帯びています。技術の進歩の中で変わりゆく“わたし”となる「身体の越境」について捉える試みでもあります。科学技術の進歩によっても、私たちの顔や身体は越境していく可能性があるのです。このイベントは、ツイッターの「いいね!」数がなんと40万件を越えるほどの衝撃的な反響を得ています。

 哲学班と心理学班の協力で始まったこの試みは、2019年3月2日-3日の2日に渡って行った、哲学班・文化人類学班・心理学班共同の『トランスカルチャーとは何か?』のイベントにつながります。心理班からは、顔身体へのプロジェクションマッピングの技術展示を踏まえて身体性についての議論を行い、哲学班からはトランスジェンダーやmixed raceという性や人種の境界に関する事例、文化人類学班からはイスラムでのベールの使用の変遷を事例として、解放される身体と拘束される身体、越境の苦しみに対峙しつつ新たな変容を生み出す過程について論じていきました。

 男女や人種の壁を越えたトランスジェンダーやmixed raceは、トランスカルチャーを身体性において顕著に示す象徴的な事象といえましょう。身体的な特徴があるとともに、いずれも個人にとってはアイデンティティにかかわる痛みを持った問題です。

越境していく身体ートランスジェンダーとmixed race

 近年mixed raceはグローバリゼーションの象徴として扱われ、ハリウッドスターの魅力の一つとなっています。「Mixed Race, Pretty Face?」などのネット記事もあるほどです。mixed raceに対する価値観が移り変わる中で、当事者のアイデンティティはその変遷に翻弄されるようです。一方で、顔を見る側自身が境界のどちら側にいるかにより、raceの境界が変わることが、心理学から明らかになっています。顔・身体の見方の曖昧さを、個人と社会の双方から考えることができるのです。来年の2月には、mixed raceへの印象判断の発達的変化を文化間で比較する研究や、当事者研究など、個と社会について考える国際シンポジウムを、心理学・哲学・文化人類学と共同で企画しています。

 トランスジェンダーからは、性別という壁を越える先にみられる現実を捉えることができるでしょう。mixed raceやトランスジェンダーなど越境する現象を見る中で、越境に求める自由とそれに伴う痛みや苦しみ、そして越境する先に再びそれぞれが壁を作り上げようとする実情をみることができます。壁に守られる安心感から、社会について再考することができるでしょう。このような身体から社会を見る視点は、歴史の新たな解釈へと展開することができます。古典作品や絵画に残された顔や身体、顔と身体をどのように表現してきたかを読み解くことは、無意識のレベルで、当時の社会文化が何を重視し、何に注意を払っていたかを読み解く手がかりとなるのではないでしょうか。

 人文社会科学の新たな学問領域として「顔・身体学」を確立していく試みを続けています。意識することの少ない身体性の認識を意識化すること。私たち人が持つ本性と背景となる社会状況を把握することにより、無意識のうちに作り上げる壁に気づき、他者との違いを理解し受容することを目指します。顔・身体から個人と社会との関係を見つめ直すことにより、多様な社会を支える新しい価値観を提案していきたいと思います。

 「顔・身体学」は中間評価を経て、後期の公募研究を募集中です。ご興味のある方はぜひ、科学研究費助成事業新学術領域研究(研究領域提案型)「公募研究」から応募頂きたく思います。また顔・身体学では、さまざまなイベントを企画しています。哲学カフェ形式で顔について互いの意見を語りあう「顔身体カフェ」や、毎年12月初旬頃には東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所で公開シンポジウムを行っています。その他多くのイベントを行っておりますので、ぜひご参加頂けたらと思います。

「顔・身体学」領域のHPはこちらnew window Facebookや twitterからも、最新情報を発信しています。

計画班のメンバー
文化人類学班 床呂郁哉(東京外国語大学)・高橋康介(中京大学)
心理班 山口真美(中央大学)・渡邊克巳(早稲田大学)・田中章浩(東京女子大学)
哲学班 河野哲也(立教大学)
前期公募班のメンバー
南哲人(豊橋技術科学大学)・田暁潔 (筑波大学)・山田祐樹(九州大学)橋弥和秀(九州大学)・山本芳美(都留文科大学)・金谷一朗(長崎県立大学)・Tseng Chiahuei(東北大学)・松田壮一郎(筑波大学)・溝上陽子(千葉大学)・三浦哲都 (早稲田大学)・本吉勇(東京大学)・月浦崇(京都大学)・友永雅己(京都大学)・上田祥行(京都大学)・稲垣未来男(大阪大学)・社浩太郎(大阪大学)・岡本正博(福島県立医科大学)・渡邊伸行(金沢工業大学)・長滝祥司(中京大学)・小池耕彦(生理学研究所)・林隆介(産総研)・宮永美知代(東京藝術大学)・田中咲子(新潟大学)

第3回「顔・身体学」領域会議の集合写真(2018年12月26・27日、沖縄県市町村自治会館にて)

山口 真美(やまぐち・まさみ)/中央大学文学部教授
専門分野 実験心理学
Yamaguchi K Masami
神奈川県出身。1964年生まれ。
1987年 中央大学文学部卒。
1989年 お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。
1995年 お茶の水女子大学大学院人間文化研究科単位取得退学後、博士(人文科学)
(株)ATR人間情報通信研究所研究員・福島大学生涯学習教育研究センター助教授、中央大学助教授を経て2007年より現職。その間、さきがけ研究員、新学術領域研究「学際的研究による顔認知メカニズムの解明」計画班長。
乳児を対象とした知覚発達研究においては世界をけん引する研究を進めている。著書に、「赤ちゃんの視覚と心の発達」(東京大学出版会)、「自分の顔が好きですか?――「顔」の心理学」(岩波ジュニア新書)、「発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ」(講談社ブルーバックス)などがある。
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~ymasa/

[広告]企画・制作 読売新聞社広告局