カルティエ

過去・現在・未来の時を刻み続ける「タンク」

(写真)直線と曲線から導き出された革新的なデザインコードから生まれ、100年以上の時を経て現在でも愛され続ける「タンク」ウォッチの数々。上から「タンク ルイ カルティエ」、「タンク フランセーズ」、「タンク アメリカン」。

過去・現在・未来の時を刻み続ける「タンク」

時間とは、単にカウントされるだけのものではなく、一瞬ごとが貴重で宝石のように輝くもの–。縦枠の2本の直線と黄金比のフォルムによってデザインの洗練を極めた「タンク」は、その美しい造形に宿る普遍的な自由とエレガンスによって、世界の名だたるセレブリティたちをも魅了し、カルティエ ウォッチの永遠のアイコンとなった。誕生から100年以上の時を超え世界中で愛され続けているのも、身につけた人のかけがえのない時間の質を高めたいと願うウォッチメイカーとしてのカルティエの想いを感じるからだろう。

作編曲家、音楽プロデューサーとして第一線を走り抜けてきた松任谷正隆氏が、自らの時計愛とタンクへの憧憬を語る。「タンク」の魅力と、名作をアップデートし続けるカルティエのウォッチ哲学を感じてみたい。

(写真)直線と曲線から導き出された革新的なデザインコードから生まれ、100年以上の時を経て現在でも愛され続ける「タンク」ウォッチの数々。上から「タンク ルイ カルティエ」、「タンク フランセーズ」、「タンク アメリカン」。

松任谷 正隆 Matsutoya Masataka

松任谷 正隆

Matsutoya Masataka

人生最初の時計と最後の時計

思いだしてみれば、子供の頃から盤面を駆け上がる針のようなものが好きだった。バスに乗れば一番前の席で速度計とにらめっこ。自転車にようやく乗れるようになると、待ってましたとばかり速度計を取り付け、1人悦に入っていた。腕時計にはもちろん死ぬほど憧れて、でも中学から、と校則が決まっていたので、それまでは耐えに耐えたのだと思う。ほぼ入学と同時に手に入れたのは国産の安いやつで、それでも一番洗練されたデザインのものだった。洗練、というキーワードはあの頃から僕の大事な大事なものだったのだと思う。それは時計だけにとどまらず、服、家、音楽、いや、景色、空の色まで好みははっきりしていた。変わった子供だったとも言える。弱虫で、集団行動も苦手で、何かに付け怯えた。苦しくなると必ず神様にお祈りをした。最初は漫然とお祈りをしていた記憶がある。ところが、ある時から神様は時計の中にいる、と思うようになった。腕の上で動揺することなく、ひたすら正確に時を刻み続ける、というところにそんな感情を持ってしまったのかもしれない。

松任谷 正隆 Matsutoya Masataka
Matsutoya Masataka

松任谷 正隆

緊張する場面の前には時計に向かってお祈りをしている自分を良く覚えている。なるべく人に見られないようにそうしたが、見られたとしたら何と思われただろう。なにしろ時計が神様。正確には時計の中に神様が住んでいる、ということなのだけれど・・・。

時計を外すのが怖くなった。外してどこかに行ってしまったらどうしよう、と。そうしたら僕は生きていけるのだろうか。オーバーな話ではない。本当に僕はそう思ったのだ。そして、ついに恐れていたことが起こった。ある日忽然と時計は姿を消したのだ。置き忘れたのかもしれない。いや、たぶんそういうことなのだろう。あり得ないことが起こってしまい、僕はパニックに陥った。新しい時計を買えばいい、なんてことではなかった。神様はあそこにしかいなかったのだから。

それから10年、いや20年くらいか。腕時計をしない時期は続いた。はっきり言ってあの紛失する恐怖を二度と味わいたくない、と思ったのだ。記憶は薄らいでいき、僕の洗練されたものへの憧れも、少しずつ軌道修正されていったように思う。少なくとも、服装に関しては当時のIVYブームあたりから、いわゆるアメリカントラッドの洗礼を受け、そちらの方向にシフトしていった。ワークウェアやミリタリーウェア、いわゆる働く服たちが好きになっていった。80年代に僕がアメリカの某ブランドの服に夢中になるのは自然な流れだった。

まだ日本に代理店がない時代、アメリカに行って山のようにそのブランドの服を買って帰った。でも夢中になればなるほど、ひとつ不思議なことに気付いた。カタログなどではワークウェアの新しい着方の提案をしているのに、当のデザイナー自身はいつもピタピタの小さな服で、提案している方向とはちょっと違うことだ。ふと腕に付けている時計に目が行った。四角くて長い時計。ワークでもミリタリーでもなかった。そしてこれが僕が「タンク」を意識した最初だった。

1988年に誕生した「タンク アメリカン」

1988年に誕生した「タンク アメリカン」は、伝統を革新させた斬新なフォルムで高く評価された。

「タンク アメリカン」。いや、ビンテージ好きとして知られる彼のことだから、そう呼ばれる前のものかもしれない。ハッとしたのは、僕がこの10年だか20年だかの間にどこかに置いてきた、元来好きだった洗練されたデザインをそこに見たからかもしれない。

L.A.の高級デパートに行き、「タンク アメリカン」を見せてもらった。あのヌルリとした何とも言えないアーチのような曲線。文字盤と針の極々シンプルな関係。耳を当てると小さくカチカチという機械の鼓動。一瞬時が止まったかのように感じたことを覚えている。その場で買います、と言えなかったのは、まだ30そこそこの年齢ということもあったかもしれないし、仕事で来ているのに、そんなことをやっている場合ではない、と思ったからかもしれない。でも、翌年も、その翌年も、実を言えば毎年「タンク」を見に、同じデパートに行ったのだ。こんなことを言うのも変だけれど、この「タンク」の中に本来の自分の進むべき道を見つけ出していたのかもしれない。流行に流されなかったとしたら、普通に辿り着いていたかもしれない目的地を。

1988年に誕生した「タンク アメリカン」

1988年に誕生した「タンク アメリカン」は、伝統を革新させた斬新なフォルムで高く評価された。

さらに10年が過ぎ20年が過ぎ、とうとう僕は今年73歳になる。IVYから始まった僕の服の偏ったこだわりも2000年の声を聞くようになってからはずいぶん自由になった気がする。国産の服も着るようになったし、いいものはいい、と言えるようになった。ごくたまに、ではあるが時計も普通に買うようになった。好きな時計を自由に買う。別に何の変哲もないことだが、あの頃のことを思い出すたびになんだか不思議な気分になる。いや、正直に言おう。時計だけは自由に買ってはいない。どこかになんらかのストッパーを感じている。それはきっと神様だ。そろそろ時計に戻らせてよ、と言っているのだ。神様は、人生最初の時計と最後の時計に宿るのかもしれない。そして最後のそれが「タンク」なのだ、と僕は思っている。

フランスの名優アラン・ドロン(写真左) イヴ・モンタンとシモーヌ・シニョレ(写真右)
フランスの名優アラン・ドロン(写真左)、イヴ・モンタンとシモーヌ・シニョレ(写真右)も、「タンク」ウォッチを愛用していた。カルティエのアイコンである「タンク」は、ゲイリー・クーパーやアンディ・ウォーホル、マドンナまで世界中の男女から愛され続けている。
  • タンク ルイ カルティエ
  • タンク マスト
  • タンク フランセーズ

(写真左から)「タンク ルイ カルティエ」オリジナルの系譜に連なる「タンク」の中のマスターピースで、レクタンギュラーのフォルムがアイコニック。 /「タンク マスト」歴史的なデザインと現代的なテクノロジーを融合。光発電で駆動する高性能ムーブメントを搭載。 /「タンク フランセーズ」ケースとブレスレットを一体化。まるでジュエリーのように楽しめる時計は、着用感も優れる。

松任谷正隆(まつとうや・まさたか):1951年、東京都生まれ。作編曲家、音楽プロデューサー。4歳からクラシックピアノを習い始め、14歳の頃にバンド活動を始める。20歳の頃プロのスタジオプレイヤー活動を開始し、バンド“キャラメル・ママ”“ティン・パン・アレイ”を経て、数多くのセッションに参加。その後アレンジャー、プロデューサーとして松任谷由実、松田聖子、ゆず、いきものがかりなど多くのアーティストの作品に携わる。日本自動車ジャーナリスト協会に所属し、長年にわたり、「CAR GRAPHIC TV」のキャスターを務める他、「日本カー・オブ・ザ・イヤー」の選考委員でもある。

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2大時計メディア編集長による -コノサーズ トーク-

  • クロノス日本版 編集長
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